Last modified: Thu Apr 22 21:33:27 2004 +0900 (JST)
ロクに追えていなかったので、ちょっとまとめてみた。
政府は、毅然とした姿勢を示す一方で、早い段階からあらゆるルートを使って救出に全力を挙げた。中でも、積極的に働きかけたのが、スンニ派法学者組織「イラク・イスラム聖職者協会」だ。同協会の仲介が事件解決のカギを握ると見ていたからだ。本当ですか? > 読売。
16日の記者会見では、邦人解放をめぐり小泉首相が直接、宗教者委の名を挙げて評価しなかったことに触れ、「我々の努力を日本人の多くが評価してくれている。しかし、日本政府はそうではないようだ」と不快感を示した。解放が遅れた一因は日本政府の対応にあるとも語り、「善意の仲介者」にとどまらないしたたかさを見せた。「積極的に働きかけ」ると、こういう発言が出るのですか? > 読売。
パン作りの仕事を高遠さんに見つけてもらったムハマド・フセイン君(15)は「無事に戻ってきて、とても幸せ」と喜び、「彼女と再び会えるまで彼女を待っている。ナホコ、僕たちから離れないでほしい」と再びイラクを訪ねてくる日を願ったという。高遠氏の活動内容が支持されているからこそ、こういう発言が出てくるわけで。
アルクベイシ師は16日、日本人記者らに囲まれて「日本大使館は委員会に謝意を伝えてこなかった。日本の首相も委員会について言及しなかった」と不満を語った。日本大使館は「積極的に働きかけ」た相手をこのように扱うのですか? > 読売。
外務省によると、上村代理大使は17日夕、解放された2人を迎えに行ったバグダッド市内の同委員会事務所で、15日の3人の日本人の解放への努力について感謝する川口外相名のメッセージをアルクベイシ師に伝えた。次の「2 人」のときには謝意を伝えた模様。
私はずーっと「アルクベイシ氏」と「クベイシ氏」は別人だと思っていたのですが、どうやら同一人物のようで……_|‾|○。
カウンセリングに当たった精神科医、斎藤学・家族機能研究所代表は21日、3人が事件だけでなく、批判的な世論からも強いストレスを受けていることを明らかにした。
道が立て替えた分は「光熱費と上下水道代ぐらい」(道総務部)という。
政府・官邸の情報収集・分析能力って、どうしようもなくだめだめのでは……。 自衛隊に「なにか」があったときに、きちんと対応できるのか?
政府・与党など:
チャーター機については、飛行区間相当分のエコノミー料金を請求することが外務省の内規で決まっており、3人に対しては1人当たり4万〜5万円程度が請求される見通しだ。 (中略) 3人は、ドバイの病院での治療費と宿泊費、ドバイから関西空港までの航空料金を自費で払っており、「他に想定している請求はない」(同省幹部)という。
野党:
民主党
「自己責任を自覚することは何を行うにも重要」としながらも「今回の議論が政府関係者から極めて強く出てきたことには隠された意図を感じずにはいられない」と指摘し、国民に対する責任を果たしていないという批判を恐れた政府関係者による責任追及回避のためのキャンペーンではないかとの見方を示した。同時に菅代表は、米国のパウエル国務長官らの発言も引きながら、危険を犯してでも人道支援に行く人があって初めて社会の進歩があること、危険を犯してでも報道するジャーナリストの存在の重要性を改めて訴えた。
日本人人質の行動には稚拙で注意不足な面があり、家族の言動も一部身勝手だったことは否めないが、人質及び家族に対する日本でのバッシングは異常に思える。自己責任も重要だが、イラクで1万人の無辜の市民を殺した戦争を始めたアメリカを支持し、自衛隊を派遣した「政府責任論」も重要だ。
社民党
社説 など:
それでもなおイラクに向かい事件に巻き込まれたことを、無謀とか本人たちの責任とする見方もあろう。
だが遠い国の人々を思い、自らの力と熱意で困難を乗り越え働こうとする若い日本人の存在は誇りにしたい。
民間人に対するのと比べ、政府の安全への配慮は大使館や自衛隊に偏っていたのではないか。疑念がある。
人質にされた三人は政府の「退避勧告」を無視してイラクに出かけている。悪いのは一にも二にも卑劣な犯罪者だが、世に与えた迷惑の数々を見つめればきっと、三人もひとつ利口になるに違いない (中略) 自分なりの目的があっての旅だと三人は言いたいだろう。正しいと信じる目的のためならば手段は常に正当化される——といった幼稚な理屈はテロリストと狂信者だけにとどめておきたいものである
今回確認された原則、得られた教訓を忘れてはならない。それは、日本政府はもはや人質犯の要求には応じないという原則であり、国民が政府の勧告を無視して行動する場合は、自己責任を負わなければならないということだ。
危険を承知で行動することに批判の余地はあるが、日本人が標的とされないような政策と外交こそイラク国民が日本に求めているものではないか。
政府とNGOは、これからもお互いを尊重し合いつつ、人道支援の両輪であるべきだ。NGOも今度の事件を教訓に危機管理、情報収集、後方支援体制や、政府との連携をさらに強化し、可能だと判断できた時点で活動を進めていけばいい。五人に沈黙を強いるとしたら、この国こそ少し危険である。
自らの「信念」で活動する人まで保護するべきなのか (中略) 「善意」や「信念」は状況や相手によっては、「独善」に陥りかねない。一連の人質事件は、改めてそれを証明している。「信念」の人には、今後、強制的に規制するよりも、自己責任を徹底させるべきだろう
5人にも、それぞれの「責任」はあった。しかし、銃を突きつけられ、命を脅かされたことが「結果に責めを負うこと」だったのではないか。それぞれが落ち着いて語れる時を待ちたい。
誘拐された5人の状況認識に甘さがあったことは否めない。とくに、激しい戦闘が続いていたバグダッド周辺の安全確認は不十分だった。危険地での活動を考えるうえで、今度の事件が残した教訓は大きい。
だが、与党内を中心に声高に語られている過剰な「自己責任」論には、首を縦に振るわけにはいかない。
「自己責任」「自己負担」論への反論:
もし今の状況下で、読売新聞があくまで「テロが頻発している」→「イラク入りしたのは無謀」→「本人が悪い」と決めつけるならば、同新聞は1991年6月に雲仙普賢岳の噴火災害で自社のカメラマンが亡くなった件についても、カメラマンと編集部の「無謀」を糾弾しなければならない。
SECRETARY POWELL: (中略) But even when, because of that risk, they get captured, it doesn't mean we can say, "Well, you took the risk. It's your fault." No, we still have an obligation to do everything we can to recover them safely and we have an obligation to be deeply concerned about them. They are our friends. They are our neighbors. They are our fellow citizens.部分訳: [aml 39059]
明日以降、日本で郡山さん、高遠さん、今井さんたちを待ち受けているのが、<北朝鮮>から戻られた拉致被害者の方々と同じのように、何も言えなくなってしまうような鉛の状況を作り出してはならないとと思います。日本政府や保守のメディアが主張する自己責任論は、政府の責任回避であり、根本的な問題を不問にし、回避してやまない現政府のレトリックにすぎません。
今回の人質問題関連の記事を読んでいて、「自己責任」の旗振り役になっている讀賣新聞ですが、あの時は私に批判めいたことはひと言も発しませんでしたし、逆に私の行動を褒め称えました。讀賣さんに聞きたいのは、87年のときの私の取材活動と、今回人質になったジャーナリスト(NGOメンバーも含めて)の違いは何であったか、ということです。確かに、経験や危機管理の面で多少の違いはあったでしょうが、本質的には彼らと私は同じ立場です。
この件で小泉首相が情報管理を徹底するよう指示し、政府対策本部が取材拒否していることについて「極めておかしい。日本の危機管理とはこういうやり方なのかと思ってしまう」と苦言を呈した。政府はこんなことしていたのか……。
つまり、長年にわたるNGO活動から熊岡氏が得た確信は、武器や軍は人道援助活動の妨げになる、武器や軍を遠ざけなければ人道援助活動はできない、逆にいえば、自己完結型の援助はかえって危険がある、ということなのだ。国会会議録検索システム で「発言者: 熊岡路矢」で検索すれば出てきます。 なお、JavaScript を有効にする必要がありました。
第一装甲師団のトラットナー軍曹は (中略) しゃべり続けた。「ファルージャでは注意しな。俺たちは敵の奴らをどっさり殺してるんだ」(中略)「いや、奴らも俺たちを殺してるけど。俺はファルージャが好きだ。あのクソ野郎どもの連中を殺したんだ」
三田地さん、Dora 9 さん情報ありがとうございます。